会社を辞めた母のクローゼットを整理した。
まずはもう着ない服。気に入っていない服。毛玉やシミ、色褪せた服をどんどん処分していく。
…はずだった。
だが、思わぬ弊害が立ちはだかった。
母が最近はじめた趣味の「畑」である。
「畑仕事するのに、汚れてもいい服がいるよ」
そう言われるとゴミ袋へ一直線だったはずの服たちが急に息を吹き返しはじめる。しかも畑用の服だって、洗い替えが必要。日本には四季まである。夏用、冬用、ちょっと小寒い日の羽織りもの…。結局まぁまぁ残った。
気づいてしまった。
会社を辞めたからといって、服ってそんなに減らないって。
近所の中華に行く服と、ホテルの中華に行く服は違う。
友達とお茶をするにしても、田舎で会うのか都心に出るのかで変わる。
バスツアーには、動きやすいけど少し小綺麗な服が必要。
さらに母はハワイのスーパーリピーターなので、ハワイで羽目を外すための服も必要らしい。
日本の“人の目”から少し自由になりたい日もあるみたい。
結局、服というのは生活そのものなのかもしれない。
畑をする自分。
旅行へ行く自分。
近所で過ごす自分。
少しおしゃれして出かける自分。
場所や相手が変われば、必要な服も変わる。
会社という大きなステージがひとつ消えたとしても、人は案外たくさんの役割を生きているんだな。
バッグだってそう。
結局ひとつしか手放せなかった。
冠婚葬祭用も必要だし、旅行用もあるし、普段使いもある。(“婚”はもうめったにないけれど。)
服の整理は本当に難しい。
「お気に入りだけ残せばいい」
なんて少し綺麗事だったのかもしれない。
さらにここへ、子育て世代は授業参観、運動会、入学式、卒業式まで加わる。
しかもイベントは写真に残る!!
わたしならきっと無駄にたくさん買ってしまう。
いくら服を持っていても、「着る服がない」と感じる理由が、なんだかわかった気がした。
女性の洋服の整理は死ぬまで無理。
これが、わたしの結論である。

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